堀野 正さん ~アジア・マスターズ陸上競技大会 棒高跳び優勝~

河内長野市小山田町在住、昭和10年3月16日生、まもなく77歳を迎えられます。

堀野さんは、2010年12月6日から12日、クアラルンプール(マレーシア)で開催された、アジア・マスターズ陸上競技大会に出場され、M75(75~79歳)クラスにおいて、棒高跳び(2m20)優勝、走り高跳び(1m10)準優勝という見事な成績を収められました。

同氏は山口県出身。田万川町立(現萩市)多磨中学校3年生の時に、体育の先生から勧められて走高跳をはじめ、郡大会で優勝し、県大会でも優勝されました。残念ながら、全国大会への出場はなりませんでしたが、卒業後は、陸上部がある高校ということで、山口県立萩高校へ進学されました。

陸上部に入部し、走り高跳びを1年間されていましたが、思うように記録が伸びなかったそうです。

そして、顧問の先生の勧めもあって棒高跳びに転向されたそうです。ご本人曰く、『結構器用なほうだったから、意外と簡単に飛べたんですよね。』とのことですが、昭和28年、高校3年生の時に、県大会で新記録(3m22)を出して優勝、そしてインターハイ予選中国大会を突破、同年横浜市で開催されたインターハイに出場されました。当時は、棒高跳びのポールは竹だったそうで、堀野さんも竹細工のお店で竹を買ってきて、ご自分で作られていたそうです。

現在も棒高跳び、走り高跳びをされている堀野さん、その後もずっと陸上を続けてこられたのだと思っていましたが、新日鉄に就職された後、陸上競技からは長く離れておられたそうです。

陸上をやめ仕事に邁進されていた堀野さんが、再び棒高跳びを始められたのは、58歳のとき…40年ぶりのことです。

定年が近づいてきて退職後の生活を考え始めたとき、“身体を使うことと頭を使うことをしよう”と思われたそうで、そんな時、新聞にマスターズ陸上競技大会参加者募集の記事を見つけられたそうです。

そして、58歳からマスターズ大会に出場するようになった堀野さんですが、3年後、腰を怪我して手術をし、奥様のご心配もあって選手を引退され、以後審判員として大会に関わっておられたそうです。

それでもやはり再度の復活、69歳の時だそうです。

どんなトレーニングをされているのかお伺いすると、「年をとるとね、やらないと忘れてしまうのだけれど、やりすぎるとだめですよね。」 「全力で走れる50m程度の距離を3~4本、公園の雲悌で懸垂をしたり…疲労を感じる時はトレーニングしないし、トレーニングをしていても疲労を感じるときは、やめますよ。」 「今思うと、怪我をしたときは、若かったんですね。無茶なことをしてたんだと思いますよ。」そうおっしゃる堀野さん。「懸垂からの逆上がりは、今でも楽に出来ますよ。棒高跳びは、握力と腕力がないといけませんからね。」さらっと当然のような言葉に、驚いてしまいました。

棒高跳びの練習には、週に1度、尼崎の陸上競技場へお出かけになるそうです。

怪我をしてお休みになっていた期間を除いて、M60,M70,M75と3つのクラスで、棒高跳び日本記録をお持ちですが、「まだ10年はやれるかな。」と笑顔で話される堀野さん。M80,M85クラスの日本記録も塗り替えてくださることでしょう。今年も、全日本マスターズ大会に出場される予定で、「台北で行われるアジア・マスターズ大会にも参加したいですね。」とおっしゃっていました。

陸上を再開された同じ年、ラブリーホール合唱団が結成され、合唱団にも参加されています。今年で20年、「第9」はすでに25~26回歌われたそうで、両国国技館(東京)で行われる『5000人の第9』、大阪の『1万人の第9』にも参加されたそうです。オペラでは、『椿姫』『蝶々婦人』『マクベス』『トゥーランドット』なども合唱されたそうです。今年は、ラブリー合唱団結成20周年のイベントがあるそうですから、合唱の練習にも精が出ることだと思います。

“身体と頭を使おう”と考えられたそのとおり、『陸上と合唱』を楽しんでおられます。

「大きな声を出すようなことは、一度もなかった。」と、奥様がおっしゃるように、本当に穏やかな方でした。

これからも「10年」といわず、もっともっと長く、バーを飛び、そして、合唱を楽しみ、私たちに元気を与えてくださることを楽しみにしています。

  

2012年04月18日 by staff